現在、復職への不安からかなかなか皆様のブログへコメントを残していく事ができない状態にありますが記事は拝見させていただいております。このような状況の中、コメントを残していってくれる皆様へ、感謝の気持ちで一杯でございます。ありがとうございます。 また、ご訪問いただいている皆様へも、ありがとうございます。
現在、気持ちが不安定な為コメントへのレスをさせて頂く事ができない状態となっております。頂いたコメントはありがたく読ませて頂いております。申し訳ありません。
少し前に「記憶が飛んだ」という記事を書きました。
その事を心療内科の診察日に主治医に話をしたんです。
なんかマズイのかな、と思って。
で、相談したら
主「それは何時くらいの事?」
僕「多分、夜の寝る前だったと思います」
主「睡眠薬は飲んだ後だった?」
僕「う~ん…飲んだ後だったと思います。抗不安剤も」
主「うん。ならそういう事はあるよ」
とあっさり。
睡眠薬を飲むと記憶が飛んでしまうという現象は起きるらしいです。
知らなかった(常識なのかな)。
そういえば数年前の睡眠薬の飲み始めの頃って、飲んだ後
まともに歩く事もできなくってフラフラ~、てして意識もおぼろげになってたなぁ、
と思い出し。
睡眠薬を飲んだ後は危険なんだな、と再認識。
外出なんてしようものなら道端で寝ちゃってるかも。
凍死したい人はもうすこししたら良い季節になりますな。
「寝逃げをする」という表現。
強烈な不安感・焦燥感や恐怖に襲われる時なんかによく使用する気がする。
もちろん寝る事が許される環境下で。
寝るのって気持ちが良いと思う。
あまり(というかまったく)、「寝るのって気持ち悪い」
という表現は聞いたことがない。
寝るのって意識が眠っている状態だよね。
夢はどうなのかよくは知らないんだけど。
眠っているのって起きているよりも死んでいるに近いと思う。
そうだとすると生きているのって、あまり心地よいものじゃあないのかもしれない。
「生き地獄」って言葉があるくらいだし。
死への憧れってさ…とても自然な欲求なのかもしれないよね。
いつからの統計なのかは知らないけれど、日本人の年間自殺者数は年々増加しているとメディアが報じている。
僕も予備軍に入るんだけど何故なんだろう、と思う。
何故世の中便利になっているのに、働く時間が短くならないんだろう。
何故8時間勤務なんだろう?
便利になっているのだから、例えば6時間勤務にして余暇の時間を増やせばいいのに。
もしくは週3日休みとかね。
仕事の効率が上がれば上がるほど、求められる数が増えるから?
エネルギー問題が根本にあるからせっせと働かなくてはいけない?
相手がいるから、資本主義社会だから競争になるから?
結局どこまでいっても働き続けるんだろうか、日本人は。
いつまでたっても人同士の殺し合いが無くならないように。
僕が生きている内には実現できないだろうけど、日本はもっと「ゆったり」とか
「休む」「楽しむ(仕事じゃないよ)」という事を認められる国になっていかないと、
この先も自殺者数は減らない気がするんだ。
休日にごろごろとするだけでもいいじゃない。
遊びに行くだけが休日じゃないよ。
定年退職して家でゴロゴロするのはそんなにいけない事なの?
趣味がなくちゃダメみたいに言われるのが、今の日本の器の小ささ、か。
そしてそれが自分や他人の首を絞めるのかな。
ここ3日間ほど、朝から夜まで眠くてしかたがない。
朝目が覚めて起きようと試みるけど、寝室の隣のリビングへ行く途中で力尽きて眠っている。知らない人がその状態の僕を見たら恐らく、死んでいると思われるだろう格好で。
昼間もなんだかボォ~っとして気がついたら寝ていたり、夜は夜で21時位には眠くなっていた。でも夜は眠くても眠剤無しでは寝られないから不思議だ。
今日、心療内科へ行って相談したら鬱の症状で眠気が強く出てしまう事があるとの事。
鬱状態に強くなる原因といえば休職限度が今月一杯で、来月からの復職の事かな…
離婚の話もあるし車検もあるし、会社や心療内科の手違いで傷病手当が先月入ってなかったせいで預金が少ないのも原因かも。
お金に執着してるからそうなるんだという人がいるけど(メディア等で)、お金がなけりゃ今の世の中生きていくのは困難である。
執着もするよ、ある程度。だから仕事しなきゃいけないいんだろう。
僕は仕事が生きがいだなんてありえないし、それをせずに趣味に没頭できる生活があるなら素晴らしいじゃないかと思う。好きな時間に起きて、好きなもん食って、好きな事して。
でもこういう考えを言うと、やっぱり反感を買う事がある。
仕事をして楽しくなきゃいけないようだ、彼らは。
きっと自分にそう言い聞かせているだけなんだろう、と思っている。
大概そういう人種は仕事が終わっても無駄に会社にいる。
終わったならさっさと帰れよ、と思う。
僕はさっさと帰る。上司がそういう人種でも。
ドライだね、と言われた事がある。
多分彼らは湿っているのが好きなんだ。
好きな月は6月だろう。
僕は無駄な湿気は大嫌いだ。
…なんだか思うままに打ち込んでいたら内容がワケ分らなくなった。
なにを書きたいんだったかな~???
不安に襲われると、もしくはそれに近い状態になる予防として抗不安剤を飲んでいる。
寝る前にはほぼ毎日飲み、昼間でも少しの不安で飲んでしまっている。
もしかしたら、これはウツからの治癒の遠回りなのではないのかと最近思う。
自分の中の不安と向き合って、しっかりと見つめる事が必要なのではないか。
時には逃避した方が良いときもあるだろう。
しかし、必要以上の逃避は原因を覆い隠してしまうのではないだろうか?
原因を見つけられなければどんな病気も完治は難しい。
ただでさえ、心・精神という目には見えないことによってなる病。
それをますます見えなくしていれば、いつまでも治らない。
そういう気がする。
その覆い隠しているの一つが抗不安剤なのかと。
もちろん今まで飲んでいていきなり断薬すれば反動が大きいと思う。
少しずつででもいいじゃない。
少しの不安は少し自分が見ようじゃないか…きっと自分がそこにいるのだから。
「それも自分」ではなく「それが自分」。
優しく
厳しい
強く
弱い
向かい
逃げる
わがままな
思いやりのある
気長な
短気な
胸をはり
萎縮し
一人好きで
淋しがりや
空を見上げ
地を見据え
そんな自分が
全て自分
今、不眠症である。
頓服を飲んで不安を和らげる事もある。
消えてしまいたいとも思う。
これらの気持ちは休職になる少し前からの症状なのか。
否、そうではない。
思い出した。
初めて消えたいと思ったのは小学生の高学年の頃、両親に抑圧されていた為。
ある日ふと星空を見上げて、消えてしまいたい、と真剣に思った。
不安感、というより恐怖心が常にあった気もする。
親の顔伺いだ。
どうしてこれで自分に自信が持てようか。
不眠。
中学生の頃から寝つきはとても悪かった記憶がある。
これは現在まで酷くなる一方なのである。
薬無しで寝られる日は、永久の眠りか?とさえ思う。
何度か仮病で休んだ事もある。
背が低いというのはイジメの十分な理由になりえるからだ。
中学生の頃が最悪だったか…モノを隠されたり酷いものはなかったけれど。
多分、僕が言い返してたからだと思う。
だから中学校時代が一番人生で大嫌いだ。
デリートしてしまいたい。
人間が苦手なのだ、これまで生きてきた上でそうなっている。
上っ面のつきあいはソコソコ可能。
でも友人は皆無と言ってもいい。
電話がかかってきても取らない事が二度に一度はあるかな。
電話でしゃべるのが苦手なんだ。
相手の仕草や表情がわからないから不安になる。
白昼悪夢を最近よく見るようになって開けられてゆく、蓋ふたフタ。
耐え難い睡魔に負けると封印されてあった蓋が開く。
うなされて、目が覚めると心臓の鼓動が猛烈に速くなっている。
全力疾走した直後のよう。
直ぐに抗不安剤。
そして丸くなる。
ここが自分、ここが自分…
蓋の封印は開けているのか、開いてしまっているのか…ダレガ。
ボクシカイナイ。
ナニヲサガシテル?
心療内科で薬を処方され、それが新しい薬だったりすると
一ヶ月後位に血液検査をされる。
僕は注射は大嫌い(好きという人は少ないと思うけど)で、
刺さっている所を見ていられない。
一度、夜高熱を出して夜間の救急に行った時に3度も失敗された経験もある。
(そいつは多分研修医だったと思う。二度と多少の事で夜間救急には行かないと誓った)
注射の上手な方ってベテランという風格がある看護師さんが多いと思う。
注射の時はおばちゃん看護師がほっとする。
慣れている方は注射を開始する前から終わるまで会話をしてくれて気を散らせてくれる。
この辺りは上手だなぁ~、と素直に感心する。
そういうマニュアルでもあるんだろうか?
ある日、心療内科で血液検査を行う事になって呼び出された。
若くて可愛い看護師さんだった。
「うわぁ~、今日は痛いのかなぁ~(><)」と憂鬱になる。
部屋に入ると看護師さんが雑談をしながら準備を始める。
おや?これは上手なパターンか?と思う。
雑談の中で「注射は怖いですか?」と看護師さんに聞かれ、
「はい!物凄く怖いです」と僕は答える。
「私も怖いです」と天使(?)の微笑みの看護師さん。
「………えぇえぇぇ!?今なんとおっしゃりました?」と心で思ふ。
ここで患者の恐怖心をあおってどうするΣ( ̄ロ ̄|||)
結果、痛かったです…期待を裏切る事なく刺さってる間中ずっと。
これで血液検査を無しの方向へやんわりと会話を主治医にする僕なのでした。
必要なのは分ってるんですけどね…気分次第になってます、僕の。
押し切られる事も多いですが(それが医者の仕事だからしょうがないのだけれど)。
どんどん、どんどん
夜、就寝するのが怖くなっている。
もう寝る時間なので薬も飲んだのだけれど、怖い。
就寝前の抗不安剤が欠かせなくなっている。
理由は分らない。
以前は夜の静けさが落ち着いて気持ちよかったのだけれど、
今は真逆で、静けさ、暗闇、失う意識…それらに怯えている。
一人が怖いのかもしれない。
布団を抱いて丸まって、うめきながら、震えながら…そして堕ちる。
今も薬が効いてきてまぶたが重くなってきた。
不眠症の僕にはありがたい事であるはずなのに、それなのにだ。
怖いのだ。
不安でたまらないんだ。
誰かに側に居て欲しい…淋しさが不安?
最近、スッと寝られるようになった。
睡眠薬を一つ増やしたおかげか。
その睡眠薬は安定剤として使用されるものらしいですが、
錠剤ではなくて液体なのです。しかも一つ0.5mlという少量。
だけど苦し!必ず脇に水を用意しておかなくてはならんのです。
じゃないと、うぇえぇぇぇ~(TДT)ノっとなってしまうので。
で、この薬のおかげで追加で睡眠薬を飲む必要がなくなり減薬。
朝に飲む薬や食後に飲む薬も減って、もれなく減薬キャンペーン中です♪
眠れるって…すばらしい。
とは言っても昼寝をかましてしまうとやはり寝つきが悪くなるもので、
それを解消する為に夜、お風呂に入る前に筋トレで体を疲れさせます。
やる程度は日によってまちまち。
あんまりやると虚弱な僕は後日ダウンしてしまうので。
で、筋トレ後お風呂でシャワーを浴びてスッキリした後でプロテインを飲みます。
これが体重増加にも繋がって現在45~46kgになりました。
(以前は45kgの壁を越えられなかったのです)
身長が162cmと僕はちっちゃい方なのであと2~3kgもあれば良い感じかな?
ウツ病になり10ヶ月間休職。2008年6月から復職。2009年1月中旬より再休職。同年10月より2度目の復職。
あるらしい [うつの事]
少し前に「記憶が飛んだ」という記事を書きました。
その事を心療内科の診察日に主治医に話をしたんです。
なんかマズイのかな、と思って。
で、相談したら
主「それは何時くらいの事?」
僕「多分、夜の寝る前だったと思います」
主「睡眠薬は飲んだ後だった?」
僕「う~ん…飲んだ後だったと思います。抗不安剤も」
主「うん。ならそういう事はあるよ」
とあっさり。
睡眠薬を飲むと記憶が飛んでしまうという現象は起きるらしいです。
知らなかった(常識なのかな)。
そういえば数年前の睡眠薬の飲み始めの頃って、飲んだ後
まともに歩く事もできなくってフラフラ~、てして意識もおぼろげになってたなぁ、
と思い出し。
睡眠薬を飲んだ後は危険なんだな、と再認識。
外出なんてしようものなら道端で寝ちゃってるかも。
凍死したい人はもうすこししたら良い季節になりますな。
睡眠、そして死への憧れ [うつの事]
「寝逃げをする」という表現。
強烈な不安感・焦燥感や恐怖に襲われる時なんかによく使用する気がする。
もちろん寝る事が許される環境下で。
寝るのって気持ちが良いと思う。
あまり(というかまったく)、「寝るのって気持ち悪い」
という表現は聞いたことがない。
寝るのって意識が眠っている状態だよね。
夢はどうなのかよくは知らないんだけど。
眠っているのって起きているよりも死んでいるに近いと思う。
そうだとすると生きているのって、あまり心地よいものじゃあないのかもしれない。
「生き地獄」って言葉があるくらいだし。
死への憧れってさ…とても自然な欲求なのかもしれないよね。
のんびり生きたい [うつの事]
いつからの統計なのかは知らないけれど、日本人の年間自殺者数は年々増加しているとメディアが報じている。
僕も予備軍に入るんだけど何故なんだろう、と思う。
何故世の中便利になっているのに、働く時間が短くならないんだろう。
何故8時間勤務なんだろう?
便利になっているのだから、例えば6時間勤務にして余暇の時間を増やせばいいのに。
もしくは週3日休みとかね。
仕事の効率が上がれば上がるほど、求められる数が増えるから?
エネルギー問題が根本にあるからせっせと働かなくてはいけない?
相手がいるから、資本主義社会だから競争になるから?
結局どこまでいっても働き続けるんだろうか、日本人は。
いつまでたっても人同士の殺し合いが無くならないように。
僕が生きている内には実現できないだろうけど、日本はもっと「ゆったり」とか
「休む」「楽しむ(仕事じゃないよ)」という事を認められる国になっていかないと、
この先も自殺者数は減らない気がするんだ。
休日にごろごろとするだけでもいいじゃない。
遊びに行くだけが休日じゃないよ。
定年退職して家でゴロゴロするのはそんなにいけない事なの?
趣味がなくちゃダメみたいに言われるのが、今の日本の器の小ささ、か。
そしてそれが自分や他人の首を絞めるのかな。
眠くて眠くて [うつの事]
ここ3日間ほど、朝から夜まで眠くてしかたがない。
朝目が覚めて起きようと試みるけど、寝室の隣のリビングへ行く途中で力尽きて眠っている。知らない人がその状態の僕を見たら恐らく、死んでいると思われるだろう格好で。
昼間もなんだかボォ~っとして気がついたら寝ていたり、夜は夜で21時位には眠くなっていた。でも夜は眠くても眠剤無しでは寝られないから不思議だ。
今日、心療内科へ行って相談したら鬱の症状で眠気が強く出てしまう事があるとの事。
鬱状態に強くなる原因といえば休職限度が今月一杯で、来月からの復職の事かな…
離婚の話もあるし車検もあるし、会社や心療内科の手違いで傷病手当が先月入ってなかったせいで預金が少ないのも原因かも。
お金に執着してるからそうなるんだという人がいるけど(メディア等で)、お金がなけりゃ今の世の中生きていくのは困難である。
執着もするよ、ある程度。だから仕事しなきゃいけないいんだろう。
僕は仕事が生きがいだなんてありえないし、それをせずに趣味に没頭できる生活があるなら素晴らしいじゃないかと思う。好きな時間に起きて、好きなもん食って、好きな事して。
でもこういう考えを言うと、やっぱり反感を買う事がある。
仕事をして楽しくなきゃいけないようだ、彼らは。
きっと自分にそう言い聞かせているだけなんだろう、と思っている。
大概そういう人種は仕事が終わっても無駄に会社にいる。
終わったならさっさと帰れよ、と思う。
僕はさっさと帰る。上司がそういう人種でも。
ドライだね、と言われた事がある。
多分彼らは湿っているのが好きなんだ。
好きな月は6月だろう。
僕は無駄な湿気は大嫌いだ。
…なんだか思うままに打ち込んでいたら内容がワケ分らなくなった。
なにを書きたいんだったかな~???
向き合うことが必要かも [うつの事]
不安に襲われると、もしくはそれに近い状態になる予防として抗不安剤を飲んでいる。
寝る前にはほぼ毎日飲み、昼間でも少しの不安で飲んでしまっている。
もしかしたら、これはウツからの治癒の遠回りなのではないのかと最近思う。
自分の中の不安と向き合って、しっかりと見つめる事が必要なのではないか。
時には逃避した方が良いときもあるだろう。
しかし、必要以上の逃避は原因を覆い隠してしまうのではないだろうか?
原因を見つけられなければどんな病気も完治は難しい。
ただでさえ、心・精神という目には見えないことによってなる病。
それをますます見えなくしていれば、いつまでも治らない。
そういう気がする。
その覆い隠しているの一つが抗不安剤なのかと。
もちろん今まで飲んでいていきなり断薬すれば反動が大きいと思う。
少しずつででもいいじゃない。
少しの不安は少し自分が見ようじゃないか…きっと自分がそこにいるのだから。
「それも自分」ではなく「それが自分」。
優しく
厳しい
強く
弱い
向かい
逃げる
わがままな
思いやりのある
気長な
短気な
胸をはり
萎縮し
一人好きで
淋しがりや
空を見上げ
地を見据え
そんな自分が
全て自分
思い返すと [うつの事]
今、不眠症である。
頓服を飲んで不安を和らげる事もある。
消えてしまいたいとも思う。
これらの気持ちは休職になる少し前からの症状なのか。
否、そうではない。
思い出した。
初めて消えたいと思ったのは小学生の高学年の頃、両親に抑圧されていた為。
ある日ふと星空を見上げて、消えてしまいたい、と真剣に思った。
不安感、というより恐怖心が常にあった気もする。
親の顔伺いだ。
どうしてこれで自分に自信が持てようか。
不眠。
中学生の頃から寝つきはとても悪かった記憶がある。
これは現在まで酷くなる一方なのである。
薬無しで寝られる日は、永久の眠りか?とさえ思う。
何度か仮病で休んだ事もある。
背が低いというのはイジメの十分な理由になりえるからだ。
中学生の頃が最悪だったか…モノを隠されたり酷いものはなかったけれど。
多分、僕が言い返してたからだと思う。
だから中学校時代が一番人生で大嫌いだ。
デリートしてしまいたい。
人間が苦手なのだ、これまで生きてきた上でそうなっている。
上っ面のつきあいはソコソコ可能。
でも友人は皆無と言ってもいい。
電話がかかってきても取らない事が二度に一度はあるかな。
電話でしゃべるのが苦手なんだ。
相手の仕草や表情がわからないから不安になる。
白昼悪夢を最近よく見るようになって開けられてゆく、蓋ふたフタ。
耐え難い睡魔に負けると封印されてあった蓋が開く。
うなされて、目が覚めると心臓の鼓動が猛烈に速くなっている。
全力疾走した直後のよう。
直ぐに抗不安剤。
そして丸くなる。
ここが自分、ここが自分…
蓋の封印は開けているのか、開いてしまっているのか…ダレガ。
ボクシカイナイ。
ナニヲサガシテル?
それを言っちゃあいけませんぜ [うつの事]
心療内科で薬を処方され、それが新しい薬だったりすると
一ヶ月後位に血液検査をされる。
僕は注射は大嫌い(好きという人は少ないと思うけど)で、
刺さっている所を見ていられない。
一度、夜高熱を出して夜間の救急に行った時に3度も失敗された経験もある。
(そいつは多分研修医だったと思う。二度と多少の事で夜間救急には行かないと誓った)
注射の上手な方ってベテランという風格がある看護師さんが多いと思う。
注射の時はおばちゃん看護師がほっとする。
慣れている方は注射を開始する前から終わるまで会話をしてくれて気を散らせてくれる。
この辺りは上手だなぁ~、と素直に感心する。
そういうマニュアルでもあるんだろうか?
ある日、心療内科で血液検査を行う事になって呼び出された。
若くて可愛い看護師さんだった。
「うわぁ~、今日は痛いのかなぁ~(><)」と憂鬱になる。
部屋に入ると看護師さんが雑談をしながら準備を始める。
おや?これは上手なパターンか?と思う。
雑談の中で「注射は怖いですか?」と看護師さんに聞かれ、
「はい!物凄く怖いです」と僕は答える。
「私も怖いです」と天使(?)の微笑みの看護師さん。
「………えぇえぇぇ!?今なんとおっしゃりました?」と心で思ふ。
ここで患者の恐怖心をあおってどうするΣ( ̄ロ ̄|||)
結果、痛かったです…期待を裏切る事なく刺さってる間中ずっと。
これで血液検査を無しの方向へやんわりと会話を主治医にする僕なのでした。
必要なのは分ってるんですけどね…気分次第になってます、僕の。
押し切られる事も多いですが(それが医者の仕事だからしょうがないのだけれど)。
夜が怖い [うつの事]
どんどん、どんどん
夜、就寝するのが怖くなっている。
もう寝る時間なので薬も飲んだのだけれど、怖い。
就寝前の抗不安剤が欠かせなくなっている。
理由は分らない。
以前は夜の静けさが落ち着いて気持ちよかったのだけれど、
今は真逆で、静けさ、暗闇、失う意識…それらに怯えている。
一人が怖いのかもしれない。
布団を抱いて丸まって、うめきながら、震えながら…そして堕ちる。
今も薬が効いてきてまぶたが重くなってきた。
不眠症の僕にはありがたい事であるはずなのに、それなのにだ。
怖いのだ。
不安でたまらないんだ。
誰かに側に居て欲しい…淋しさが不安?
基本的人権があるのならば [うつの事]
(エコマーク)
注)僕個人の思考なので、もし読まれる方がおられるのであれば
コイツはこう思ってるんだ、程度に流して下さい。
少し前まではついて離れなかった希死念慮。
今では希も念もない。
ただその時は必ず訪れるという事を信じて生きている。
今の僕の状態なら事故や急性の病気などがなければ、しばらく生きられると思う。
でもですね、最近思うのですけど睡眠。
あれって気持ちが良いものですよね、大半は。
しかしその睡眠中は意識は眠っているわけであって、無意識。
それが気持ちが良いと感じる…なんだか不思議な感触なんです。
寝るのが好き(僕もですが)な人ってこの世に疲れているのかも、ってさ。
睡眠状態に入ったら次に意識が戻るなんて保障はどこにもないのにね。
そのまま死ぬ事もありえる…それを望んでいるのかとさえ思っちゃうんだ。
もう一つ思うのは他人の自殺を止める行為。
その行為は集団としての生存本能がそうさせているのか、はたまた教育によって「自殺はいけない事なんだよ。そういう人がいたら声をかけて止めてあげましょう」等の無責任教育のたまものか。
そりゃ無責任でしょう。
自殺を止めて、その人の苦しみを背負う覚悟があるのなら他人でも良いか。
友人や親族なら緊密な付き合いをしていれば、それもまた理由になりえるか。
やっぱり不思議でたまらないのが知らない人の自殺を止めるという行為。
僕は他の方のブログで「死にたい」というメッセージがあっても止めません。
その人は死にたがっているのだから、その人の権利を尊重しなきゃね。
その方は苦しんで苦しんで、その結果そうしたいと願うのだから。
現実でそういった場面に遭遇した事ないので、僕がどういう行動をとるのかは不明
ですが現在の思考からいくと「じゃぁさいなら」で終わるのです。
こんな思考なので最近は自分の生死の境界があいまいになっていて。
なんとなく生きているけど、なんとなく死ぬかもなぁ、とも思う。
なんで死んではいけないわけ??
神やら仏やらはいたら面白い程度しか思ってないし、カルマだとか輪廻転生とか
そんなのは死なにゃ分らんでしょう。いずれ科学が証明する日が来るかもね。
偶像崇拝を楽しんでいればそれで生きているうちはいいんでない?
死後はただの土くれと化すだけですよ、燃やさなければ。
燃やさず荒れた地に除菌をしっかりして埋めたら、良い土地が出来るかもよ。
まぁ要は基本的人権の中に「自殺」も含まれていると僕は解釈してます。
そんな権利がなくてもそう思ってるけどね。
注)僕個人の思考なので、もし読まれる方がおられるのであれば
コイツはこう思ってるんだ、程度に流して下さい。
少し前まではついて離れなかった希死念慮。
今では希も念もない。
ただその時は必ず訪れるという事を信じて生きている。
今の僕の状態なら事故や急性の病気などがなければ、しばらく生きられると思う。
でもですね、最近思うのですけど睡眠。
あれって気持ちが良いものですよね、大半は。
しかしその睡眠中は意識は眠っているわけであって、無意識。
それが気持ちが良いと感じる…なんだか不思議な感触なんです。
寝るのが好き(僕もですが)な人ってこの世に疲れているのかも、ってさ。
睡眠状態に入ったら次に意識が戻るなんて保障はどこにもないのにね。
そのまま死ぬ事もありえる…それを望んでいるのかとさえ思っちゃうんだ。
もう一つ思うのは他人の自殺を止める行為。
その行為は集団としての生存本能がそうさせているのか、はたまた教育によって「自殺はいけない事なんだよ。そういう人がいたら声をかけて止めてあげましょう」等の無責任教育のたまものか。
そりゃ無責任でしょう。
自殺を止めて、その人の苦しみを背負う覚悟があるのなら他人でも良いか。
友人や親族なら緊密な付き合いをしていれば、それもまた理由になりえるか。
やっぱり不思議でたまらないのが知らない人の自殺を止めるという行為。
僕は他の方のブログで「死にたい」というメッセージがあっても止めません。
その人は死にたがっているのだから、その人の権利を尊重しなきゃね。
その方は苦しんで苦しんで、その結果そうしたいと願うのだから。
現実でそういった場面に遭遇した事ないので、僕がどういう行動をとるのかは不明
ですが現在の思考からいくと「じゃぁさいなら」で終わるのです。
こんな思考なので最近は自分の生死の境界があいまいになっていて。
なんとなく生きているけど、なんとなく死ぬかもなぁ、とも思う。
なんで死んではいけないわけ??
神やら仏やらはいたら面白い程度しか思ってないし、カルマだとか輪廻転生とか
そんなのは死なにゃ分らんでしょう。いずれ科学が証明する日が来るかもね。
偶像崇拝を楽しんでいればそれで生きているうちはいいんでない?
死後はただの土くれと化すだけですよ、燃やさなければ。
燃やさず荒れた地に除菌をしっかりして埋めたら、良い土地が出来るかもよ。
まぁ要は基本的人権の中に「自殺」も含まれていると僕は解釈してます。
そんな権利がなくてもそう思ってるけどね。
眠れるのは嬉しい [うつの事]
最近、スッと寝られるようになった。
睡眠薬を一つ増やしたおかげか。
その睡眠薬は安定剤として使用されるものらしいですが、
錠剤ではなくて液体なのです。しかも一つ0.5mlという少量。
だけど苦し!必ず脇に水を用意しておかなくてはならんのです。
じゃないと、うぇえぇぇぇ~(TДT)ノっとなってしまうので。
で、この薬のおかげで追加で睡眠薬を飲む必要がなくなり減薬。
朝に飲む薬や食後に飲む薬も減って、もれなく減薬キャンペーン中です♪
眠れるって…すばらしい。
とは言っても昼寝をかましてしまうとやはり寝つきが悪くなるもので、
それを解消する為に夜、お風呂に入る前に筋トレで体を疲れさせます。
やる程度は日によってまちまち。
あんまりやると虚弱な僕は後日ダウンしてしまうので。
で、筋トレ後お風呂でシャワーを浴びてスッキリした後でプロテインを飲みます。
これが体重増加にも繋がって現在45~46kgになりました。
(以前は45kgの壁を越えられなかったのです)
身長が162cmと僕はちっちゃい方なのであと2~3kgもあれば良い感じかな?